1. HOME>
  2. コレクション>
  3. 坪田譲治コレクション

坪田譲治コレクション

坪田譲治コレクションの紹介

坪田譲治(明治23(1890)年―昭和57(1982)年 享年92歳)(画像:小石清 『小説新潮』昭和30年5月号「作家故郷へ行く」{岡山県}より)

本学附属図書館は、岡山県出身の作家・坪田譲治の自筆原稿・書簡・初版本等の関連資料を2004年度より収集してきました。そしてこれらの貴重な資料を整理して、2009年、坪田譲治の命日である7月7日に、「坪田譲治コレクション」として開設しました。
さらに、2015年度の図書館増築の際、附属図書館東棟の2階に新しいコーナーを設けました。
このページでは、本コレクションの内容を簡単にご紹介いたします。

※資料画像の無断転用はご遠慮ください。

※コレクション資料の利用は、原則として学内関係者に限らせていただいております。

1 坪田譲治について

坪田譲治(明治23(1890)年 ― 昭和57(1982)年 享年92歳)は、岡山県御野郡石井村大字島田(現・岡山市北区島田本町)に生まれました。石井尋常小学校(現・岡山市立石井小学校)、金川中学校(現・岡山県立岡山御津高等学校)を経て、明治41(1908)年に早稲田大学文科予科に入学します。そこで小川未明に師事して作家を志すようになり、小説を書き始めます。のちに昭和2(1927)年より、鈴木三重吉主催の童話雑誌『赤い鳥』に作品を載せるようになり、童話の創作も始めます。
代表作に『お化けの世界』、『風の中の子供』、『子供の四季』などの「善太と三平」ものがあります。創作の初期から晩年近くに至るまでに書かれた膨大な作品のうちの多くは、東京で書かれていますが、郷土岡山での幼少体験を素材として、岡山を舞台とした作品となっています。

画像、小石清 『小説新潮』昭和30年5月号「作家故郷へ行く」{岡山県}より。

2 本学所蔵資料の紹介

本学附属図書館「坪田譲治コレクション」の所蔵資料の中から、一部を以下にご紹介します。

※ 資料のサムネイル(小さな画像)をクリックすると、大きな画像で見ることができます。

【草稿「愛魚随筆」】
坪田譲治・草稿「愛魚随筆」

この随筆は、昭和13年9月に雑誌『新潮』に掲載され、昭和15年12月に『故郷の鮒』に収録されました。これまでの坪田譲治全集には収録されていない随筆ですが、故郷岡山での釣り体験への独自な思い入れが描かれている趣深い随筆です。自筆草稿からは、題名が「魚随筆」から「愛魚随筆」に推敲されていることがわかります。

【草稿「笑顔のお地蔵さま」】
坪田譲治・草稿「笑顔のお地蔵さま」

この作品は、『苦楽』昭和23年7・8月合併号に掲載されたのち、単行本および全集への収録はなされていない作品です。譲治の従兄である坪田立蔵を主人公として、関西中学在籍中のおそらく実話を基としたと思われるエピソードが描かれています。のちに、この作品は改作され、「こどもじぞう」という作品になっています。

【坪田譲治書簡 細田伊一郎あて 大正4年4月1日】
坪田譲治・草稿「笑顔のお地蔵さま」

譲治は大正4年6月に早稲田大学を卒業しますが、その2か月前の大学生時代、譲治25歳の書簡です。卒業論文を書いている時期に、人生の悩みを率直に綴り、生の意味を探ろうと煩悶している思いが伝えられています。現存する坪田譲治書簡のなかで最も早い時期のものです。

【色紙「心の遠きところ/花静なる/田園あり」】
坪田譲治・草稿「笑顔のお地蔵さま」

坪田譲治が色紙によく揮毫する最も有名な言葉です。この「田園」のイメージは、幼少年時代を過した明治の岡山の島田周辺であると考えられます。

【初版本『子供の四季』(装丁・装画:小穴隆一、昭和13年8月、新潮社)】
【初版本『子供の四季』(装丁・装画:小穴隆一、昭和13年8月、新潮社)】

「子供の四季」は、昭和13年1月1日から6月16日まで、『都(みやこ)新聞』に連載されました。この連載小説は、大人にも子供にも好評で迎えられ、まもなくこの単行本が発行され、坪田文学の最高傑作と高く評価されました。この本の装画は、新聞連載時に毎回の挿絵を描いていた画家小穴隆一が担当しています。

【草稿「愛魚随筆」】

この随筆は、昭和13年9月に雑誌『新潮』に掲載され、昭和15年12月に『故郷の鮒』に収録されました。これまでの坪田譲治全集には収録されていない随筆ですが、故郷岡山での釣り体験への独自な思い入れが描かれている趣深い随筆です。自筆草稿からは、題名が「魚随筆」から「愛魚随筆」に推敲されていることがわかります。

【草稿「笑顔のお地蔵さま」】

この作品は、『苦楽』昭和23年7・8月合併号に掲載されたのち、単行本および全集への収録はなされていない作品です。譲治の従兄である坪田立蔵を主人公として、関西中学在籍中のおそらく実話を基としたと思われるエピソードが描かれています。のちに、この作品は改作され、「こどもじぞう」という作品になっています。

【坪田譲治書簡 細田伊一郎あて 大正4年4月1日】

譲治は大正4年6月に早稲田大学を卒業しますが、その2か月前の大学生時代、譲治25歳の書簡です。卒業論文を書いている時期に、人生の悩みを率直に綴り、生の意味を探ろうと煩悶している思いが伝えられています。現存する坪田譲治書簡のなかで最も早い時期のものです。

【色紙「心の遠きところ/花静なる/田園あり」】

坪田譲治が色紙によく揮毫する最も有名な言葉です。この「田園」のイメージは、幼少年時代を過した明治の岡山の島田周辺であると考えられます。下の写真から、当時の様子が偲ばれます。

下の写真は、大正11年頃の坪?本家です(現在の岡山市北区島田本町二丁目)。門前に、譲治のいとこにあたる坪田盈子と、盈子の母・瀧が写っています。このパノラマ写真の撮影者は、盈子のフィアンセ・川田照治です。

【初版本『子供の四季』(装丁・装画:小穴隆一、昭和13年8月、新潮社)】

「子供の四季」は、昭和13年1月1日から6月16日まで、『都(みやこ)新聞』に連載されました。この連載小説は、大人にも子供にも好評で迎えられ、まもなくこの単行本が発行され、坪田文学の最高傑作と高く評価されました。この本の装画は、新聞連載時に毎回の挿絵を描いていた画家小穴隆一が担当しています。
画像、上はカバー見開き、下は中表紙。